もち食文化
当地方(伊達藩、田村藩領内)の伝統儀礼式と食文化
- 慶長5年(1600)の関ヶ原合戦後に徳川家康公は江戸に幕府を開き、伊達政宗公は仙台に城を構えて伊達藩の藩政が開始された。政宗公は文武両道の達人として知られる大名であり、仙台藩特有の文化を創造した。(漆、鉄、焼物、織物、染物、能、和紙、茶道、武道、漢詩学、医学、舞楽など)
- 政宗公、二代忠宗公と伊達藩の歴代の藩主は政宗公の意思を引継ぎ、歴史に輝く東北の一大文化を築き上げた。
- 慶弔儀礼式については、江戸初期は一般庶民までは普及しなかったが、江戸中期から盛んになり末期には定着し、明治大正昭和の中頃まで続けられた。
- 伊達藩では、慶弔行事、年中行事、礼作法は小笠原源流、料理献立等は四條流を祝言小謡は喜多流を基本として進められた。
- 小笠原流のお膳立等は五行伝と称される。仁義礼智信を基本として、地水火風空、東西南北中央、青白赤黒黄、酸苦甘辛鹹など五行の論理により組み立てられている。料理の四條流もこれに添って組み立てられている。また、その催しの取り進めに必要なお祝い事として、祝言小謡があり、これは喜多流をもってなされた。
- 義礼式、祝儀などのお膳立ての方式には次の種類が上げられる。
- 一汁一菜〔汁又は飯、一菜〕
- 一汁三菜〔汁、膾、平皿、焼物〕
- 一汁五菜〔汁、膾、坪(香物)、平皿、猪口、焼物〕
- 三汁七菜〔本膳、二の膳、三の膳〕
- 本 膳=汁、膾、煮物、飯、香物
- 二の膳=汁、平皿、猪口
- 三の善=汁、刺身、茶碗むし、ほかに焼物膳、台引を順に出す。
- 当地方では、ご祝儀膳は三汁七菜の例を基本としたが、そのうち本膳料理には、ご飯でなく、もちを使って本膳とすることが多かった。
- もち本膳は膾、たくあん、あん餅、料理餅(くるみ、ごま、ずんだなど・・・)、引菜餅の5品をもって本膳とした。
いわて東山歴史文化振興会長 佐藤 育郎